吾輩は猫である

地球温暖化が進んでいます。宇宙船地球号は持続できるのでしょうか。日本の平和憲法も危機にさらされています。地球温暖化防止、守ろう憲法9条・生かそう憲法25条を訴えます。

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3月になりました。山笑う季節です。

 4年に一度のうるう月が明けて3月になりました。3月に変わったばかりの今朝の宮崎は暖かい朝でした。まだまだ寒の戻りがあるかもしれませんが、「やよい」という響きもあってホットする気分になります。そんな私の気持ちを察したようなコラムが今朝の地元新聞に載っていました。引用して紹介します。読んでみて下さい。

引用開始
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「山笑う季節」 宮崎日日新聞コラム くろしお 2008年3月1日

 「如月(きさらぎ)」は「衣更着」とも書き、衣服をさらに重ね着する、それほど寒い月を意味するという説もあるが、広辞苑によるとこれは誤りで、草木が再び生き返る月を表すという。

 そんな2月から季節のバトンが3月「弥生」に渡った。弥生の「弥」はこれも広辞苑によると、「いよいよ」「ますます」という意味があり、3月は2月に生き返った草木がますます盛んに成長する月ということになろう。きょうからその3月、いよいよ春である。

 弥生の声を聞くと、いつも思い出す言葉がある。それは季語にもある「山笑う」。これから山桜が咲き始めると、山全体がまるで冬の重たい衣を脱ぎ捨てて歌うように、踊るように動きだす。その開放感、躍動感が「山笑う」にぴったり。

 同じような山の季語は夏、秋、冬にもあって夏が「山滴(したた)る」、秋が「山粧(よそお)う」、冬が「山眠る」。いずれもその季節の情景を優しく、的確に描写していて、いかにも「四季の国日本」らしい。この中でも「山笑う」には季節感がそのままに表れ、ほんのりとして心が和む。

 ただ今年は2月に最低気温が零度未満の冬日が10日もあり、平均気温も6・5度と1986(昭和61)年以来、22年ぶりに7度を下回った。この寒さに山桜の開花も遅れ気味。「山笑う」までにはもうちょっと時間がかかりそう。

 本県はまだだが、関東地方ではすでに「春一番」が吹いた。春の使者に先を越されて少しばかり気がもめる。それでも確実に春の足音は近づいている。きょう、あすは天気もよく、気温も上がりそう。野山に春を探しに出かけてみようか。

引用終了
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さすが 仏タクシー運転手、政府に勝ちました。規制緩和を止めさせました。

 2月3日にAFPBB News配信の 「仏タクシー数百台が集結、参入規制撤廃に抗議」という記事を紹介しました。

 フランスのタクシー運転手のみなさんやりますね。政府の参入規制緩和を撤回させました。

 フランス・タクシー運転手の業界団体「タクシー業者全国連盟(FNAT)」のエスティバル会長は2月6日、政府側からタクシーの規制緩和はしないとの確約を得たとして、争議の終結を宣言しました。

 タクシー業界は、先月末に同業界をはじめいくつかの職種の「開放」を提案する大統領諮問委員会の報告が提出されたことに反発。同30日と今月6日に2週続けてストを行い、全国で幹線道路を封鎖するなどの行動を展開してきました。

 業界の反発を受けて、フィヨン首相は業界団体との交渉を約束。この日の交渉後に発表された声明で、同首相は政府の目的は規制の撤廃ではなく、「タクシー業の経済的バランスを崩壊させることなく、公平性を確保しながら業界を改革していくことだ」と述べました。

 諮問委報告は、全国で約4万6千台(パリで約1万6千台)のタクシーを、ライセンスの無料化により、パリだけで5、6万台に増やすことで雇用を創出できると提案。

 タクシー業界はこれに反対する一方で、政府に対しタクシーの公共交通手段的性格を認め、料金の改定やガソリン税免除を要求していました。そして今回の成果です。

村山槐多(むらやま・かいた)のこと

 今日は、2007年 宮崎県母親大会。女性のパワーに敬意を表して毎年出かけている。
 
 今年の記念講演は、「無言館」のこと~窪島誠一郎氏であった。
 信濃デッサン館創設から無言館創設までの想いが語られたが、知らなかったこともあり、強く印象に残ったのが村山槐多のことであった。以下、インターネットで検索した村山槐多紹介。

わずか22歳で夭折した画家槐多は、京都府立第一中学校在籍中多数の詩や小説、戯曲などを創作した。何度か日本美術院賞などを受賞するが、物質的困窮と放埓な生活によりもたらされた結核性肺炎に苦しみ、ある風雨の夜、無謀にも家を飛び出しやがて草叢で見つかるが衰弱著しく、「白いコスモス」「飛行船の物憂き光」という謎めいた言葉を残して死んだ。

 「風雨の夜、無謀にも家を飛び出し」とあるが、窪島氏の話によると、結核で高熱だったにもかかわらず素っ裸で、広告紙をよりひもで閉じたスケッチブックをもって彷徨したとのこと。15歳でその才能を開かせ、わずか22歳で人生を閉じた生き様がなんとも強烈だ。

 窪島氏が紹介した「祈り」という詩も村山槐多の生き様をあらわしている。
   神よ
    いましばらく私を生かしておいて下さい
    私は一日の生の為に女に生涯ふれるなと言われればその言葉にもしたがいませう
   生きて居ると云うその事だけでも
   いかなるクレオパトラのにもまさります
   生きて居れば空が見られ木がみられ
   画が描ける
   あすもあの写生がつづけられる

 1枚目の絵は、窪島氏が講演でふれた「バラと少女」、2枚目は人間の皮がひきむかれ内面をむき出しにしたたような「尿する裸僧」、3枚目は「紙風船をかぶれる自画像」。
kaita-baratosyouzyo.jpg


ibarirasou.jpg


kai_balon.jpg


 村山槐多のことを知り、今年も収穫のあった宮崎県母親大会でした。黒子で事務局長を頑張った細君にも感謝。毎年、信濃デッサン館主催で2月の第4日曜日には「槐多忌」を催しているとのこと(調べるとそうそうたる顔ぶれで鼎談が行われている)、時間をみつけて必ず行きたいと思う。

 話し方が、ときどき自虐的だったり、露悪的だったりと評判の窪島氏らしいが、今日は終始一貫、真摯な講演で、しわぶき一つたたず、参加者も聴き入っていました。窪島氏にありがとうです。
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