吾輩は猫である

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40年前へのタイムスリップ

1966年3月から1年半ほど高田馬場駅の近くに住んでいた。
かぐや姫の「神田川」の世界ではないが、まさに3畳一間の間借り部屋であった。
高校を卒業してテレビカメラマンになる夢をもって、高田馬場から蒲田まで通学していた。
結果的には途中で挫折し、それまでの付き合いも捨てて高田馬場から蒸発してしまった。
以後、10年ほど東京で暮らし、その後も年に数回東京に行っているが、高田馬場駅におりたことがなかった。

9日から10日、熱海へ会議出張があった。
いつもは、会議場と羽田を往復するぐらいで、東京のどこそこにいく時間などないのであるが、今回はめずらしく帰りの飛行機まで結構な時間があった。
そこで熱海から東京までの新幹線で、どこに行こうかと考えていたら、品川近くになって、よし高田馬場に行ってみようと思い立ち、山手線に乗り換えた。

40年ぶりの高田馬場である。
駅を出て早稲田通りを明治通りの方に向かって、40年前の風景を思い起こしながら、ゆるやかな上り勾配の歩道を歩き出した。
当然と言えば当然、40年前の風景なんてほとんど残っていない。
しかし、なんとびっくり、3畳一間の間借り部屋に通じる路地の入り口にあって、時々いっていた「早稲田松竹」という3番館くらいの映画館が、ちゃんと残って営業をしていた。
道路向かいを見ると、近頃のビルに挟まれて40年前のアーケードと商店が20mくらい残って建っているではないか。
再開発が次々と進む東京で、しかも駅前の通りでのことである。こんな事もあるんですね。
「早稲田松竹」から右への路地を入り、いよいよ3畳一間の間借り部屋を目指したが、すっかり家並みは建て代わってしまっていた。
takadanobaba.jpg


早稲田通りと明治通りが交差する馬場口の交差点から、もうすこし早稲田よりまで歩いてみた。
当時よく行った喫茶店、アルバイト先のテニスコート整備屋さんなどを探し歩いたが、別の建物に建代わっていた。

引き返し、馬場口の交差点にしばらく立って回顧。
山手線初乗りが20円。20円で山手線一周ができた。
学校近くの食堂の定食が100円。ピーナッツバターの入ったコッペパン20円。
新宿ACBのコーラ一杯?若き日の尾藤勲や森真一、園まり他3人娘などなどの歌を聴きながらコーラ一杯で2時間はねばった。
金がないから新宿から高田馬場まで明治通りをてくてく歩いて帰った。
1966年6月ビートルズの武道館公演。金がなくていけなかった。
アルバイトで稼ぐが、ボーリングとビリヤードに消え、いつも腹をすかせていた。
新宿伊勢丹の駐車場で洗車のバイト。社員食堂、40円の食券で腹いっぱい、嬉しかった。女店員さんと閉店後はなしが出来るのが楽しかった。
・・・・・・。

振り返れば若気のいたり、苦い思い出が多いが、楽しく夢のある時代でもあった。
若いときの事をいろいろ思い出させてくれた40年ぶりの高田馬場だった。
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