今日は、2007年 宮崎県母親大会。女性のパワーに敬意を表して毎年出かけている。
今年の記念講演は、「無言館」のこと〜窪島誠一郎氏であった。
信濃デッサン館創設から無言館創設までの想いが語られたが、知らなかったこともあり、強く印象に残ったのが村山槐多のことであった。以下、インターネットで検索した村山槐多紹介。
わずか22歳で夭折した画家槐多は、京都府立第一中学校在籍中多数の詩や小説、戯曲などを創作した。何度か日本美術院賞などを受賞するが、物質的困窮と放埓な生活によりもたらされた結核性肺炎に苦しみ、ある風雨の夜、無謀にも家を飛び出しやがて草叢で見つかるが衰弱著しく、「白いコスモス」「飛行船の物憂き光」という謎めいた言葉を残して死んだ。
「風雨の夜、無謀にも家を飛び出し」とあるが、窪島氏の話によると、結核で高熱だったにもかかわらず素っ裸で、広告紙をよりひもで閉じたスケッチブックをもって彷徨したとのこと。15歳でその才能を開かせ、わずか22歳で人生を閉じた生き様がなんとも強烈だ。
窪島氏が紹介した「祈り」という詩も村山槐多の生き様をあらわしている。
神よ
いましばらく私を生かしておいて下さい
私は一日の生の為に女に生涯ふれるなと言われればその言葉にもしたがいませう
生きて居ると云うその事だけでも
いかなるクレオパトラのにもまさります
生きて居れば空が見られ木がみられ
画が描ける
あすもあの写生がつづけられる
1枚目の絵は、窪島氏が講演でふれた「バラと少女」、2枚目は人間の皮がひきむかれ内面をむき出しにしたたような「尿する裸僧」、3枚目は「紙風船をかぶれる自画像」。
村山槐多のことを知り、今年も収穫のあった宮崎県母親大会でした。黒子で事務局長を頑張った細君にも感謝。毎年、信濃デッサン館主催で2月の第4日曜日には「槐多忌」を催しているとのこと(調べるとそうそうたる顔ぶれで鼎談が行われている)、時間をみつけて必ず行きたいと思う。
話し方が、ときどき自虐的だったり、露悪的だったりと評判の窪島氏らしいが、今日は終始一貫、真摯な講演で、しわぶき一つたたず、参加者も聴き入っていました。窪島氏にありがとうです。




