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後期高齢者医療制度 朝日新聞24日付社説はなぜ説明する側にまわったのか

2008/05/28 1481号                     (転送紹介歓迎)
[JCJふらっしゅ]

□■後期高齢者医療制度 朝日新聞24日付社説はなぜ説明する側にまわったのか

 79歳の後期高齢者である浜田幸一元衆院議員を起用した自民党お叱りCMは、6月8日投開票の沖縄県議選に合わせて、30日から同県で放映されるという。
 制度に対する国民的ブーイングの高まりを踏まえて、「困ったことは直せばいい。頼むよ、自民党」とやる内容というから、世も末である。そんな無駄に使う金があるのだったら、政党助成金は返上すべきなのではないだろうか。

 まったく茶番もいいところである。世襲議員ばかりが大半を占める自民党は、もはや政党という名の企業集団にすぎなくなっており、国民の負託には到底耐えられなくなっていると断じるべきだろう。

 27日、自公両党は後期高齢者医療制度を見直すためのプロジェクトチーム会合を開いて、特に国民的反発を招いている年金からの保険料天引きについて、改善策を検討したようだ。その際、高齢者本人からの天引きをやめる代わりに、保険料を世帯主である子どもらの給与などから自動的に徴収する案が有力になったと報じられてる(→共同通信)。まったく何をか況やである。

 また同日、民主党の厚生労働部門会議で、厚生労働省が同制度の導入に伴い、扶養者の所得税や住民税が負担増となることも明らかにしている(→朝日新聞)。記事によると、これは扶養者の保険料支払いから、被保険者保険料の支払いが切り離されたことが原因で引き起こされるもので、説明を聞いた民主党は「隠れ増税だ」との批判を強めているという。

 野党4党が、後期高齢者医療制度廃止法案を参院に提出したのは23日のことだ。
 毎日新聞が24日の「野党が廃止法案 対案なく攻め手欠き 与党もジレンマ」の記事で、<制度の是非を巡って与野党が国会で論戦する環境は整った>しつつ。<制度の維持にこだわる政府・与党は、世論の批判に配慮しつつ、運用の見直しで押し切る構え>と報じていたが、自民党が沖縄県議選に合わせて流す「ハマコーCM」は、まさにその路線に沿った苦肉の策ということなのだろう。

 ずいぶん国民も甘く見られたものである。

 被保険者保険料の支払いが切り離されたことが原因で、扶養者の所得税や住民税が負担増となる方式なのである。

 そして出ている出直しの案そのものが、高齢者本人からの天引きをやめる代わりに、保険料を世帯主である子どもらの給与などから自動的に徴収する、というのである。

 どうこねくりまわそうと、後期高齢者医療制度は実質増税であり、家族に負担を押し付けようとする内容であることに変わりはないのである。

 この制度については、都内23区26市への意見や苦情が3~4月だけで20万件を超えたという(共産党都議団調査、毎日新聞)。同都議団は26日、制度の廃止を政府に要請するよう都に申し入れたという。意見や苦情の内容は「年寄りは早く死ねという制度だ」「保険料が高くなった」「保険証はいつ届くのか」「断りもなく保険料を天引きするのはおかしい」(毎日新聞)などだという。

 与党は、政権をつかさどる責任をまっとうしなければならないなどと語って、この悪制度を正当化しているが、それでは日本の社会保障制度そのものを立ち腐れさせてきた自公政権の責任はどう取るのか。その責任さえまともに認めもしないで、何が責任政党であろうか。強引に責任を高齢者や家族に押し付け、自らの責任にはほおかむりをするような政党を、与党にすえておくべきと考える人がどの程度いるだろうか。

 責任政党を自認するのであれば、責任逃れを謀る前に、自ら責任を取るべくまず退陣するのが筋ではないか。そうした民主主義の筋目を問わず、自公両党の「案」と、「廃案」を求める野党陣営とどちらがいいか、どちらが国を守る上で適切かなどと、天秤にかけてみせるメディアの報道姿勢にはうんざりだ。

 23日の野党4党の参院への同制度廃止法案提出をうけて、朝日新聞は翌24日、社説<高齢者医療―「廃止」の怒りも分かるが>を掲げ、<制度を「元に戻せ」と言うだけでは、問題は解決しない>とする姿勢を打ち出した。

1)たしかに新制度に対する反発は多くの国民の間に広がっている。
2)だが、(野党が参院に提出した)廃止法案は、野党が多数を占める参院で可決されても、与党が多数 の衆院では通る見込みがない。
3)それでもあえて出したのは、この制度への不信や憤りを追い風に、福田政権を揺さぶることができる と考えたからに違いない。
4)しかし、制度を「元に戻せ」と言うだけでは、問題は解決しない。
5)新制度はだれがどう負担するのかあいまいな点をはっきりさせておこうとするものだ。
6)老人保健制度は、お年寄りの保険料も現役世代の保険料もまぜこぜだった。現役世代の負担が際限な く膨らみかねないという不満もあった。
7)後期高齢者医療制度も老人保健制度も、お年寄りの医療費を会社員の健康保険組合や国保の保険料と 税金で支えることに変わりはない。
8)税金の投入は後期高齢者医療費の半分と決められているが、必要に応じて増やすことを明確に打ち出 すべきだ。
9)財源問題から逃げていては、「うば捨て山」という批判がいつまでもつきまとい、制度が定着しな  い。


 国民的ブーイングが高まり、世論が過熱してくるとそれを冷まそうとする論陣を張る体質は、依然「健在」のようだ。朝日新聞の論評としての使命感は、必ずしも国民の側に立つものではなく、「国」の側に立って「国」のバランスを維持し、「国」を存続させることに重点が置きなおされるときがときどきある。

 国民の不満や不信をあおるのではなく、国の将来を冷静に見つめる必要があるのだという「確信」に基づくものなのであろう。だが、それならなぜ与党による社会保障制度崩壊を厳しく追及し、退陣を求めないのか。それを追及しつつ、これからの日本の社会保障制度のつくりかえを提言しようとしないのか。

 「新制度はだれがどう負担するのかあいまいな点をはっきりさせておこうとするものだ」などと、みずから解説に乗り出し、新聞としての独自も提言から逃走するのか。なぜ自ら大局観に立っているように装う必要があるのか。なぜ読者・市民よりも「国」を優先するのか。

 メディアは本源的に、市民とともに市民社会づくりへの道を歩むべき宿命を負っている。読者、視聴者なしにメディアは産業として成立しないからだ。情報源として公権力にすがり、収益源として広告に依存することで、メディア企業は成長し成熟を果たしてきたが、その所帯を維持し、生き残りをはかることを優先するとき、メディアはそのときの国という機構と、そのときの資本の論理に引きずり込まれる。

 読者、視聴者は、いかにインターネットが普及した社会にあっても、社会状況に関する情報をマスメディアに依存している。入手した情報をどう「読むか」、どう「判断するか」、どのような「行動」に結びつけるかは、マスメディアよりも個々の属するさまざまな社会的集団や人間関係に大きく依存して決断される。

 そのことを知っていれば、メディア自らが熱した世論を「冷まさねば」ならないとの使命感をいだかねばならないという指令そのものが、言葉とは裏腹に、自らの保身を目指すものでしかないことに気付くはずである。

 第二次世界大戦後、「国民とともに立つ」ことを宣言して再起した朝日新聞が、ときとしてマッチポンプを演じてみせるわけだが、そこには世論を作るのは自分たちであるという自負が、世論を誘導しコントロールするのは自分たちであるという思い上がりに歪み、転じしてしまう習癖として受け継がれていないだろうか。

子からの天引き案有力に 高齢者医療の保険料(共同通信)27日(火)19:53

<後期高齢者医療制度>野党が廃止法案 対案なく攻め手欠き 与党もジレンマ(毎日新聞)

<後期高齢者医療制度>3~4月の意見や苦情、20万件超--共産調査 (毎日新聞)

高齢者医療―「廃止」の怒りも分かるが(朝日新聞24日付社説)

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